カテゴリ:和歌山( 18 )

紀の川市麻生津

麻生津は高野街道沿いの町ということになっているが、江戸期も早い時点でこの街道を利用する人が少なくなり、紀ノ川の川港としての賑わいにより栄えた所のようだ。
e0100244_22474999.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-02 22:48 | 和歌山

紀の川市名手市場

大和街道沿いに名手宿の本陣がある。紀州藩の場合、他の藩の大名が公式に通ることないので、本陣と言っても紀州藩の殿様が泊まるだけのものだった。このため、宿泊数は少ないので、本陣の部分と生活の場の区切りが明確でなく、殿様が泊まる時は家族や下働きの者は、別棟の土蔵などに非難したようだ。
e0100244_22414585.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-02 22:41 | 和歌山

和歌山市川辺町

大阪から続く紀州街道はこの辺りで、西に延びて和歌山城下に入る街道と、南に下って熊野に達する熊野街道と分れていた。
江戸時代には宿場町でもないこの地域の人口が多いのは不明だそうだが、小さな農村集落に数は少ないが、ビックるするような豪邸が建っていたり、荒れ果ててはいるがかっての豪邸だった跡があったりと、何だか不思議な集落だった。(七ちょめ 投稿)
e0100244_1115157.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 11:24 | 和歌山

和歌山市里地区

里村山口は大阪から続く紀州街道沿いの町並で、和歌山城下に入る最後の宿場だった。
旧街道に沿って古い町並みが展開していた。(七ちょめ 投稿)
e0100244_1163645.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 11:06 | 和歌山

海南市下津町塩津

この集落も漁村と廻船の港町としての顔を持つ集落です。
しかし漁業集落としての様相が強く、急斜面の細い路地道に多くの家がへばり付いていた。(七ちょめ 投稿)
e0100244_110474.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 11:01 | 和歌山

和歌山市嘉家作丁

和歌山城下の北の端の紀ノ川沿いに懸け家造りと言われる造り方の家屋が並ぶとあり訪ねたが。
街道が通る堤防上に入口があり、家内部で奥に行くほど低くなる造りと云われているが、顕著に見られる家は外見上見当たらなかった。(七ちょめ 投稿)
e0100244_10562747.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 10:56 | 和歌山

和歌山市加太

古くからの漁師集落、廻船業者住む港町だった加太は、第2次太平洋戦争後は観光地として一時脚光を浴びて、友が島や淡島神社が有名になったが、狭い地形ゆえ観光バスでの観光客には不向きで、戦前の姿がそのまま残る古い町並が展開していた。(七ちょめ 投稿)
e0100244_10434479.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 10:44 | 和歌山

和歌山市田野

和歌山市雑賀崎の東側の入江にある集落です。雑賀崎よりも平坦地が少し多いようですが、狭い道の漁村集落には変りません。
しかし今では漁業に従事する方は少なくなり、漁をしている方は年寄りばかりと、ご老人が嘆いて居られました。(七ちょめ 投稿)
e0100244_10353751.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-04-01 10:36 | 和歌山

アメリカ村

和歌山県美浜町の三尾地区は「アメリカ村」と呼ばれている。1888年(明治21年)に始まったこの地区からのカナダへの移民は1940年(昭和15年)ごろには2千数百人に達し、現地からの送金などで豪勢な家をこぞって建てたため、アメリカ村と呼ばれるようになったという。最近は高齢化が進み空き家も目立つが、本瓦を駆使した家屋群は独特の景観をつくっている。(Kさん)
e0100244_2219444.jpg

[PR]
by irakagumi | 2007-01-09 22:20 | 和歌山

和歌山市雑賀崎

雑賀崎(さいかざき)は和歌浦の先の半島部の突端に開ける漁村で、平地に乏しく路地が立体的に入組む斜面集落が展開する。物を干すのもこのように屋根伝いだ(孫右衛門)。
e0100244_2334233.jpg

[PR]
by irakagumi | 2006-12-27 23:34 | 和歌山